北前船の拠点
油与商店のあるここ金石は、先人銭谷五兵衛の拠点として発展・繁栄しました。
銭谷五兵衛は、安永七年にこの地金石に生まれ、北前船を使い利益の高い海産物や木材の運搬をし、当時の日本の物流を活性化・発展させました。
「海の豪商」、「海の百万石」と称され、江戸時代末期の日本海を舞台に北前船を使い劇的に駆け抜けました。
銭谷五兵衛の偉業の一つに、鎖国体制の当時の日本において、蝦夷・樺太だけでなく、鹿児島南方の諸島における英国、更に北米やオーストラリアのタスマニア島にまで交易していたことです。
また、全国に34カ所の支店・出張所設け各地の得意先商人と信用取引や情報交換による全国的なネットワーク体制を確立、農水産物の生産状況、価格、景気の変動など頻繁に便船、飛脚に託して掌握、また為替による代金決済や海難事故に備えて荷主に保証金を事前に渡しておく「敷金積立制度」を導入しました。
金石という港町
油与商店のある金石という町は、先人銭谷五兵衛の拠点として発展・繁栄し、今も海の幸にあふれた港街です。
犀川が日本海に面する金石港で水揚げされる「香箱かに」は、金沢が誇る甘味のあるズワイガニのなかでも、ブランド品として重宝されています。
金沢沖で取れ、金沢港に水揚げされる金石産の雌のズワイガニ「香箱かに」が、「かないわ香箱」と名付けられ売り出されています。
県内産の香箱ガニの多くは、岩場や砂利の海底で育つが、「かないわ香箱」の漁場となる金沢沖約25~30キロの海底は、エサのヒトデが豊富な泥地。ここで育った「かないわ香箱」は、甘くしっとりした身と、たっぷりと入った濃厚な卵の「内子」「外子」が特徴で、サイズも大きめです。
金石は、新鮮な魚が獲れまた北前船の拠点となったことから栄えた港町です。この交易により、新鮮な地魚だけでなく、日本各地の魚や多くの塩が金石に集められたと聞いています。
現在金石には江戸時代の旧町名が20以上残っておりますが、塩でいうと銭谷五兵衛の塩蔵が建っていた町が「御塩蔵町」、この蔵に塩を運んだ船が入った町を「港町」といい、当時の物流がここからも窺がえます。
また、油与商店のある町は、「上越前町」といい、当時福井と取引していた人たちの住む町でした。日本の地図を作った伊藤忠敬もこの町に一泊していたそうです。
そのほか、金石には「新潟町」「松前町」というように、商人の交易を示す町名があるうえに、寺院・神社に因んだ町名も多く存在しております。
そのことからも歴史・文化のある町だと窺がえます。
日本昔話にある「飴買い幽霊」の話はご存じでしょうか。江戸時代中頃の話「飴買い幽霊」のお寺はこの金石にあります。
この話に登場する子供が大きくなり道玄と名乗り、七代目住職となり、道玄は母をしのび、画家の円山応挙に幽霊の姿をした母の絵を描いてもらったと言われ、現在もこの絵が金石に所蔵されています。
保存技術が発達してないその昔、この地で魚の保存や冬場の蛋白源や塩分補給のために、魚の塩物加工が盛んに行われました。
そのうちに、それを商いとする業者が増えたそうですが、油与商店もその1つです。